丹羽宇一郎

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丹羽 宇一郎(にわ ういちろう、1939年(昭和14年)1月29日 - )は、中国への利益誘導を使命とする元大使。民主党が任命した。

伊藤忠商事会長・社長、日本郵政株式会社取締役などを歴任の後、2010年(平成22年)6月から2012年(平成24年)12月まで中華人民共和国駐箚特命全権大使を務めた。

「日本は中国の属国として生きていけばいいのです」が口癖であり信条である。

経歴[編集]

  • 1939年(昭和14年)1月:愛知県名古屋市生まれ
  • 1957年(昭和32年)3月:愛知県立惟信高等学校卒業
  • 1962年(昭和37年)3月:名古屋大学法学部卒業
  • 1989年(平成元年)4月:伊藤忠商事株式会社食料第二本部長心得兼油脂部長
  • 1990年(平成2年)4月:同社 業務部長
  • 1992年(平成4年)6月:同社 取締役
  • 1994年(平成6年)6月:同社 常務取締役
  • 1996年(平成8年)4月:同社 専務取締役 生活産業グループ統括役員兼食料部門長
  • 1997年(平成9年)4月:同社 取締役副社長社長補佐 経営企画担当役員兼海外・開発担当役員兼生活産業カンパニー管掌
  • 1998年(平成10年)4月:同社 取締役社長
  • 2004年(平成12年)6月:同社 取締役会長
  • 2010年(平成22年)4月:同社 取締役相談役
  • 2010年(平成22年)6月16日:同退任
  • 2010年(平成22年)6月17日中華人民共和国駐箚特命全権大使
  • 2012年(平成24年)12月18日:依願退官

学生時代[編集]

名古屋大学在学中には自治会会長を務め、学生運動家として60年安保闘争では先頭に立った。1962年昭和37年)3月、同学法学部を卒業。

伊藤忠商事[編集]

大学卒業後の1962年(昭和37年)4月、伊藤忠商事に入社。社内では主に食料関連事業を担当した。

1998年(平成10年)には代表取締役社長に就任。多額の負債を抱えていた伊藤忠商事の業績を2001年(平成13年)3月期決算では過去最高の705億円の黒字を計上するまでに回復させた。2004年(平成16年)から取締役会長となり、2010年平成22年)4月1日より取締役相談役に転じた。

社長就任中には、同社の関連会社であるファミリーマート吉野家の弁当を自ら購入し昼食を済ませ、出勤には、運転手つきの自動車などを使用せず、社員の目線に立つために電車を使用していた。

伊藤忠役員時代の発言等[編集]

作家の深田祐介は、かつて丹羽が伊藤忠商事の役員時代に面談した際、「将来は大中華圏の時代が到来します」と言い切り、「すると日本の立場はどうなりますか」と反問する深田に対し「日本は中国の属国として生きていけばいいのです」と続け、「日本は中国の属国にならなくちゃならないんですか」と深田が聞き返すと、「それが日本が幸福かつ安全に生きる道です」と繰り返したという。

社会的活動[編集]

2006年(平成18年)から2008年(平成20年)まで内閣府経済財政諮問会議議員、2007年(平成19年)4月1日から内閣府地方分権改革推進委員会委員長を務めた。

日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」は2006年平成18年)2006年、同年1月18日に開催された第1回経済財政諮問会議で丹羽が日本にホワイトカラーエグゼンプションの制度が未整備であることの弊害を指摘したことを報じ、「年収900万円以上に到達しない若手社員に対して長時間労働や残業代削減を強いようとしている」と、名指しで批判した。一方、実際には丹羽は同じ会議において、「最低賃金の引き上げによる格差是正」や、「セーフティーネットの整備」も提言していた。

中国大使として[編集]

それまで伊藤忠商事取締役を務めていた丹羽は、2010年(平成22年)6月17日付で中華人民共和国駐箚特命全権大使に就任した。伊藤忠商事取締役については大使就任前日の同年6月16日をもって退任している。

中国政府とのパイプを持つ財界人として、初の民間出身駐中国大使として菅内閣により起用された丹羽であったが、東京都の尖閣諸島購入計画について「日中関係に極めて深刻な危機をもたらす」と発言したことが日本の国益を損なうとして2012年平成24年)6月には自由民主党更迭を要求をしている。

丹羽の外交姿勢は、すでに経済規模で日本を上回るようになった中国に対するODA(政府開発援助)を、「日中関係改善のため続けるべきだ」とする言動などについて、対中ビジネスを重視してきた伊藤忠商事の社長経験者であることと関連した批判がある。

青木直人は、「丹羽と中国の関係については伊藤忠商事時代からのものであり、丹羽らが複数の中国政府要人に多額の献金を行なっていた事実がある。事実上、これは日本からのODAによる事業を受注するための賄賂である」とされ、とりわけ丹羽が元首相・李鵬の子息に対して行った数十億円規模の献金については大阪国税局の摘発を受けていたと指摘している。

大使としての言動[編集]

2010年平成22年)9月7日に発生した尖閣諸島中国漁船衝突事件では、中国政府に早朝に呼び出された上、事件後にフジタの社員4人が中国政府に拘束された問題につき、中国外務省側に会談を申し入れたが拒否された。

12月18日、政府・与党内にて対中政府開発援助(ODA)に厳しい声が上がっている中、丹羽は中国への政府開発援助を増額するよう外務省本省に意見具申し、ODA強化による環境ビジネスや人材交流の促進が、中国に進出する日本企業の利益や日本の国益につながるとの見解を示した。。

花田紀凱によれば、2011年3月に北京の日本大使館で丹羽と面談した際に、南京大虐殺について「死者の数は30万人だか20万人だか10万人だかそれは分からない。争えば両国にとって損」と発言した。また、台湾独立問題について「台湾独立なんてとんでもない。絶対にあり得ません」、尖閣衝突事件については「マッサージに行っても、中国の庶民は尖閣のセの字も言わない。関心持ってませんよ」と発言し、さらにODAについても「どんどん削ってるけど、たいした額じゃないんだから、続けるべきです」と続けたという。

中国総領事館移転問題[編集]

名古屋中国総領事館の国家公務員宿舎跡地移転問題 も参照 2011年平成23年)、日本が北京市に新築した日本大使館に対し、中国当局が「設計時には無かった吹き抜けがある」として使用を許可しないという事態が半年に及んでいた。

この件で丹羽は中国当局より、北京の日本大使館の使用を許可する代わりに中国が新潟市名古屋市総領事館用の土地を取得することを認めるように要求された。

丹羽は2012年1月19日に、「日本国内の中国総領事館移転に際し、国際法及び国内法に則った上で対処する」と、事実上は新潟市名古屋市の広大な土地を中国政府が取得できるよう便宜を図ることを示唆する口上書を中国側に渡したことを発表、そしてその2日後には中国当局による北京・日本大使館の建築確認が与えられた。国会予算委員会で外務大臣・玄葉光一郎は、北京に新築された日本大使館の問題と中国が日本国内で大規模な中国領事館を所有することの問題とはそれぞれ別問題であるとしながらも、中国に対して「中国側の要請に関連の国際法に従い、中国国内法令の範囲内で協力する」旨の口上書を渡していたことを認めた。

国会でこの件を質問した自由民主党衆議院議員・小野寺五典は、「日本政府が中国に尻尾をつかまれて、どう考えても常識外の広大な土地を中国の領事業務に差し出すことへの協力を約束してしまった」としている[1]櫻井よしこはこの一件について、民間企業の土地事案であるが問題があり、丹羽や玄葉・外務省の外交姿勢に発端があると非難した。

地方出張ゼロ問題[編集]

丹羽氏は、着任以降5回の一時帰国時に、一度も地方出張をしていないことが判明した。外務省は外交青書において、「大使が一時帰国する際には積極的に地方自治体を訪問する」などと指示している。このことについて問われた玄葉光一郎外相は「残念な思いがする」と述べている。

東京都による尖閣諸島購入計画への発言[編集]

東京都は2012年日本と中国と台湾が領有権を主張する沖縄県石垣市尖閣諸島をそれまでの土地所有者から独自に購入する計画を発表したが、丹羽はこれに対して反対を表明する言動をしていることが明らかとなった。

最初に明らかになったのは英紙『フィナンシャル・タイムズ』によるインタビューで、丹羽は東京都知事・石原慎太郎が表明した尖閣諸島の購入計画について、「実行されれば日中関係に重大な危機をもたらすことになる」として、日本政府関係者として初めて反対を明言した。

また、関連して、同年5月4日に衆議院議長・横路孝弘(旧社会党)と中国国家副主席・習近平国家副主席との会談に同席した丹羽が、「日本の国民感情はおかしい、日本は変わった国なんですよ」と、東京都の計画に賛意を示す日本の世論を揶揄・批判していたことも判明している。

これら一連の事態について外務大臣・玄葉光一郎は丹羽が日本政府に陳謝していることを明らかにすると同時に、丹羽に対しては特段の処分は行わないとした。一方、自由民主党の外交部会は2012年(平成24年)6月8日、丹羽の更迭を要求する方針を決定した。

更迭、後任大使の急死[編集]

2012年7月23日、日本政府は今年9月の通常国会閉会後に中国大使を交代させる方針を固めた。都の購入計画で領土問題が生じるとした丹羽中国大使について、尖閣諸島は日本固有の領土であり、領土問題は存在しないとする政府見解・政府方針と矛盾することから続投は困難だと判断したとみられる。事実上の更迭で、丹羽の後任調整作業が進められた。

9月11日には西宮伸一外務審議官に後任の中国大使としての辞令が発令されたが、2日後の早朝に西宮が路上で急性心不全のため倒れ、急死したため、当面引き続き丹羽が大使を務め、12月16日に依願退官した。

丹羽大使襲撃事件[編集]

2012年8月27日の午後4時(現地時間)ごろ、丹羽大使が乗った公用車が北京市内の循環道路を走行中、中国人が乗っているとみられる2台以上の車が行く手を遮り、1台の車から降りた男が公用車の前についていた日本の国旗を奪って逃走した。大使や同乗していた大使館の職員にけがはなかった。尖閣諸島国有化問題をめぐる2012年の中国における反日活動が加熱しており、今回の襲撃も抗議行動の一つとみられる。

「日本はオチンチン丸出しの笑いもの」[編集]

2012年10月20日、丹羽は一時帰国した日本において母校の名古屋大学で講演し、尖閣諸島を巡る日中関係の現状について、「40年間の努力が、水の泡となる」と述べ、危機感を示した。それに続き2012年11月、在北京日本人記者クラブが主催して開かれた送別会で、「日中関係の局面は、 ここ最近で大きく変わった。これ以上中国と関係が悪くなったら、40年前の国交正常化前に戻ってしまう。」「いまどき『領土問題がない』なんて言ったら、世界中の笑いものだよ。」「外国から見れば、日本がオチンチン丸出しで騒いでいるようなものなんだよ。」などと発言していたと報じられた。

レーダー照射に「騒ぎすぎ」日本はタチの悪い空気(2013年2月)[編集]

丹羽宇一郎前駐中国大使は19日、都内で講演し、中国海軍による自衛艦へのレーダー照射問題について、「首相や防衛相への報告が遅れても許されるような事件だ。メディアも大騒ぎするな」と語った。

沖縄県尖閣諸島に関して日本は「領土問題は存在しない」との立場だが、丹羽氏は今春に韓国で開催予定の日中韓首脳会談を機に「係争を認め、中国と話し合いの場を作ることを考えるべきだ」と述べた。

2012年の日本の尖閣国有化については「せめて日中国交正常化40周年が終わる12月末まで(待てなかったのか)。場合によっては5年であろうと4年であろうと急ぐこともない。大変疑問に思った」と当時の民主党政権を批判した。

さらに、「(日中友好に歴代首相が)大なり小なり努力されたのを一人の首相が壊していいのか」、「日米中の三角形の関係で、二辺(日米)だけを強力にするのは長い目で見て正しいのか」とも発言し、日米同盟強化を掲げる安倍晋三首相を牽制した。

一方、言論統制の厳しい中国をよそに「日本に帰国してびっくりしたのは皆さんが勇気ある発言をされない。思っていることを仰らない空気を感じた」と指摘。「中国は自然の空気は悪い。日本はもっとたちの悪い空気だ。どっちが本当に国民が幸せなのか」と語った。

沖縄県・尖閣諸島をめぐる中国との対立について、「(両国は)どうせ仲良くなる。夫婦(げんか)と一緒で意地を張らないで、強い方がごめんねと言う。日本が自分が強いと思えば、そういう役割を買って出たらよい」と語り、日本側から対話に向けた努力をすべきだと訴えた。

また、丹羽氏は「日本は尖閣に外交上の争いがあることを認めるべきだ」との認識を重ねて強調。

その上で、「領土問題で『50対50で共同開発しましょう』と言うようなことはあるだろう。しかし、主権は譲歩しない」と述べ、尖閣の主権が日本にあることを前提に、中国が日本と対等に共同開発することを容認する立場を示した。

著書[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. 週刊ポスト2012年6月15日号

外部リンク[編集]

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