熊本・松橋町強盗殺人事件

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熊本・松橋町強盗殺人事件とは、2003年熊本県松橋町(現、宇城市)で松田幸則(当時30歳)が2人を殺害した事件。

経緯

平成15年10月16日午前11時過ぎ、無職の松田幸則(当時30歳)は、熊本県松橋町(現、宇城市)の木下啓子さん(当時54歳)宅に侵入し、木下さんと同居していた三浦隆雄さん(当時54歳)の2人を包丁で刺して殺害。

現金約8万円と腕時計やバックなど奪って逃走した。県警は、2人の知人関係を中心に捜査した結果、三浦さんから20万円を借りていた松田が捜査線上に浮上。身辺捜査した結果、松田を逮捕した。

松橋町男女刺殺「借金返済に困り犯行」

下益城郡松橋町曲野の男女刺殺事件で、県警捜査本部は11月5日朝から、強盗殺人容疑で逮捕した八代郡泉村下岳、無職松田幸則の本格的な取り調べを始めた。同日午後、同容疑などで熊本地検に送致した。

調べでは、松田は10月16日正午ごろ、松橋町の無職木下啓子さん(54)方に侵入。借金返済を免れるため鋭利な刃物で、同居していた元精肉店経営三浦隆雄さん(54)と、木下さんの胸などを刺して殺害した。

松田は三浦さんに数十万円の借金があったことなどを供述。「返済に困り二人を殺した」などと犯行を大筋で認めている。

これまでの調べでは、松田は事件当日、乗用車で木下さん方に向かった。現場付近で松田によく似た男を知人らが見ているほか、近くの駐車場で同容疑者の車とみられる黒色の車も目撃されている。

県警は11月4日夕、松田の自宅など数カ所を捜索。車や衣服などを押収したが、凶器の刃物は見つかっていない。現場からは三浦さんの集金用バッグや携帯電話などがなくなっており、県警は同容疑者が持ち去ったとみて追及する。

松田は県内の公立高校を卒業後、オートバイ販売会社に入社したが、数カ月で退社。同僚らの話では、その後、アルバイトをするなど職を転々としていた。

高校で同級生だった男性は「優しい男だったのに…。金銭的にルーズな部分があり、自分をコントロールできなかったのでは」などと話した。

一審の死刑判決支持、被告の控訴棄却(2007年10月)

熊本県宇城市(旧松橋町)で2003年に内縁の夫婦が殺害された事件で、強盗殺人などの罪に問われ一審・熊本地裁で死刑判決を受けた同県八代市泉町下岳、無職松田幸則(34)の控訴審判決が10月3日福岡高裁であった。

仲家暢彦裁判長は一審の死刑判決を支持し、被告の控訴を棄却する判決を言い渡した。

被告側は一審と同様、「強盗殺人の目的はなく、殺人と盗みの罪にあたる」などと主張し、一審判決は事実誤認だと訴えていた。

一審判決によると、松田は2003年10月16日午前11時20分ごろ、木下啓子さん(当時54)方に押し入り、木下さんと内縁の夫の貸金業三浦隆雄さん(同54)を、持参した包丁で刺殺し、現金約8万円や腕時計などを奪ったとされる。

死刑確定

検察側は冒頭陳述で、松田は、妻に定職についていないことを隠蔽するため、サラ金などから多額の借金を重ねて、月々の返済は数十万円になっていた。このため、以前知人の紹介で三浦さんから借金した際、三浦さんが高級腕時計を着けて派振りが良かったことから、三浦さんを殺害して金員を奪うことを計画したと主張。

一方、弁護側は、松田は三浦さんが父親の不動産を奪おうとしていると思い込み殺害に至ったと主張。また金員も犯行から数時間後に戻って盗んだと主張し、強盗目的では無かったと主張した。

2006年9月21日、熊本地裁は「被告の公判供述は不自然かつ不合理」と断じて、松田に死刑を言い渡した。

2007年10月3日、福岡高裁は松田の控訴を棄却。

2009年4月3日、松田は上告を自ら取り下げて死刑が確定した。

死刑執行(2012年9月)

法務省9月27日、死刑を執行した確定死刑囚2人は江藤幸子死刑囚(65)=仙台拘置支所=と、松田幸則死刑囚(39)=福岡拘置所=で、同日午前に執行したと明らかにした。

確定判決などによると、祈祷師だった江藤死刑囚は平成6年12月~7年6月、福島県須賀川市で、共同生活していた信者を、除霊と称して太鼓のばちで殴るなどし、4人を殺害、2人を死亡に至らせ、1人に重傷を負わせた(福島悪魔払い殺人事件。1審福島地裁は「教えを妄信していることに乗じ暴行した」として死刑を選択。仙台高裁、最高裁も1審判断を支持した。

松田死刑囚は平成15年10月、熊本県宇城市(旧松橋町)で、木下啓子さん=当時(54)=方に押し入り、木下さんと、同居していた三浦隆雄さん=(同54)=の胸を包丁で刺して殺害、現金約8万円と腕時計などを奪った。被告側は金品目的の殺害ではないと主張したが、1審熊本地裁は強盗殺人罪の成立を認め、死刑を言い渡し、2審福岡高裁も支持。その後、上告を取り下げて死刑が確定していた。

民主党政権下での死刑は、千葉景子法相時代の2010年7月以降、2012年3月の小川敏夫法相時代まで1年8カ月間執行がなく、2011年は19年ぶりの「執行年」となっていた。