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菅野 茂かんの しげる1959年(昭和34年)5月3日 - )は、日本の前衛作曲家指揮者でもある。福島県福島市生まれで、現在は、ドイツラインラント=プファルツ州アルテンキルヒェン郡在住のピアニストでもある。

公式プロフィール

1959年5月3日福島・飯野・青木生まれ。しばらく音楽を独学。

1978年福島商業高等学校情報処理科卒業。その間、吹奏楽団の学生指揮者として無名の団体をコンクールの入賞に導く。ピアノ:斎藤一次教授・千恵子両氏、声楽を遠藤武雄氏、理論を須田くにお氏に学ぶ。

1985年までに東京で理論を嵐野英彦氏、作曲を嶋津武仁氏・西村朗両氏、指揮を松本喜久雄・坂本和彦両氏、ピアノを尾崎裕子・星出雅子両氏、現代音楽を藤村貴彦氏、ヴィオラを片山治夫氏に指示。現代音楽専門のピアニストとして東京でStockhausen・Boulez・Berio・Scelsi・Pärt・Satie・Feldman・Cage・Karkoshka’ Lachenmann(日本初演)などの演奏活動。

1986年までに放送大学科目履修課程修了。音楽学等を柴田南雄氏に師事。

その後ウィーン国立音楽大学指揮科で聴講し指揮の個人レッスンをカール・エスターライヒャー教授、現代音楽指揮法をディーター・ブルビック、音楽理論をディートマール・シェルマンに師事し(1992年まで)またレナード・バーンスタインのもとで指揮の研鑚を積む。

1987年にドイツのシュトゥットガルトに転居、州立音楽大学大学院に入学(1992年卒業)。作曲をヘルムート・ラッヘンマン教授、電子音楽をエアハルト・カルコシュカ教授、現代管弦楽法をミルコ・ケレメン教授、総譜奏法をジークフリート・ぺトレンツ教授、通奏低音をクリストフ・ボッセルト教授、音楽学をヨアヒム・カイザー教授、合唱指揮をディーター・クルツ教授、打楽器をグリヤ・ラッツ教授、発声法をウアズラ・へフタ―女史等に学ぶ。シュトゥトガルトの州立歌劇場で指揮のホスピタントと助手を兼ねる(2000年まで)。SKG混声合唱団の伴奏ピアニストと専任指揮者を兼ねる(1992年まで)。

1989年バッド・カンシュタット樂友協会の専属指揮者(1991年まで)。ホイマ‐デン、シュトゥットガルト-ノルト、ツッフェンハウゼン、シュタムハイム教会などのオルガン奏者、児童・少年・青年・成人混声合唱団の指揮者・コレペティトア等。ウエスト・ドイッチェ・フィルハーモニーを指揮。

1990年、天安門事件一周年のための中国語の合唱と管弦楽のための交声曲「白い薔薇」の委嘱とシュトゥットガルトの世界初演。シュトゥトガルト放送交響楽団を指揮〔現代音楽〕

1991年、メクレンブルク州立管弦楽団を指揮(Figaro,Fledermaus)。即興演奏家(ピアノ、オルガン、ヴァイオリン、チェロ、ライアー、打楽器など)。ルートヴィクスブルク映画大学大学院バーデン・ヴュテンベルクの映画音楽科入学:映画音楽:コン・ス教授(1993年修了)。(映画音楽や劇音楽ならびに商業音楽)と同時にシュトゥットガルト音楽大学大学院電子音楽のコンタクト・ゼメスターで2年間の研修と研究。イングリシュ・バロック・ソロイスツを指揮〔後宮からの誘拐と魔笛〕

1992年スペインのムルシア国際音楽祭に招待され、管弦楽曲”Situation on The Situation” WVE-22の世界初演。シエーサ、カルタヘ-ナ、トッレ・パチェコなどで再演。第五回国際作曲コンクールの審査員、ならびに現地のオーケストラを指揮。(Schubert,Prokofiev)。カールスルーエで自作の映画音楽をライヴ指揮、並びにシュトゥトガルトでレコーディング。フランクフルトのアンサンブル・モデルンでカールハインツ。シュトックハウゼンのアシスタント。クラウス・フーバーとの正式な出会い。ハム交響楽団の指揮(Stravinsky,Beethoven)。

1993年ラモンテ・ヤングとジェームス・テニ-との正式な出会い。ベルリンのフィルハーモニーで現代音樂の指揮。ハンス・ツェンダ-のフランクフルトとシュトゥットガルト・ザルツブルクなどで助手を務める。

1994年、フランクフルト州立音楽大学大学院作曲科入学。作曲:ハンス・ツェンダ-教授、指揮:ハンス-ディ-タ-・レッシュ教授(学長)。ニュルンベルク交響楽団を指揮。シュトゥトガルトのインドネシア人とのガムラン音楽の学びながら体験。

1995年、パリ現代音楽アンサンブルでStockhausenを指揮。シュトゥットガルトで自作だけの最初の個展。

1996年、プロイセン・フィルハーモニー管弦楽団やルツェルン現代音楽アンサンブルを指揮。

1997年、イタリアのオラディア交響楽団を指揮。南ドイツ合唱プロジェクト。自作の個展II(即興とパフォーマンス)。

1998年、打楽器奏者としてのスペイン演奏旅行。ホルプで自作の個展III(トーク・コンサート)。オィリュトミー・パフォーマンス、第二回ゲッピンゲン国際声楽コンクールの審査委員長。リスボン交響楽団を指揮(Expo98)。

1999年、霊樂研究会の会長。リスボンフィルハ-モニーの指揮(Santos)。ピアノと理論・論文の教師。

2000年、パリのアンサンブル・アレフとの活動。インド音楽家との即興活動。ウエスター・ヴァルトに転居。

2001年、指揮者・オルガニストとしての教会音楽家の活動(プーダ-バッハ、ビルンバッハ、ヒルゲンロート、アイヒェルハルト、バウシャイド、ムシャイド、ダウフェンバッハ、シュタインメル等)。ぺスカラ南イタリア交響楽団の指揮。

2002年、スイスのバーゼル・ドルナッハでの即興演奏活動。「動くオブジェ」の為の作曲コンクール審査委員長。

2003年、東京三角ゾリステンとの活動 〔ケルン〕。音楽アドヴァイザーやドラマトゥギ-の活動。

2004年、オッパーツァウ女性合唱団の指揮者〔プラハト〕。ヒルシャイト、ゲルリッツ管弦楽団と合唱団でオペラNachtwaechterを指揮。

2005年、バイロイトで歌手・演出・指揮陣への通訳兼インタビューアー、ギリシャでピアノ個展コンサート

経歴詐称疑惑

公式プロフィールには以上のように自称しているものの、仔細に検討すると菅野の経歴には矛盾や疑問点が多い。以下にそれを列挙する。

  1. 「音楽学等を柴田南雄氏に師事」→その内実は、放送大学のテレビ講義で柴田南雄の話を聴いただけ。柴田は菅野になど会ったこともなく、言葉を交わしたこともない。これで師事と言えるのか。
  2. 「現代音楽専門のピアニストとして東京でStockhausen・Boulez・Berio・Scelsi・Part・Satie・Feldman・Cage・Karkoshka’ Lachenmann(日本初演)などの演奏活動」→一介の無学な新聞屋がどうしてピアニストとして有名作曲家の作品を初演していたというのか非常に不自然な話であり、作り話である可能性が極めて高い。あるいは、自分の部屋で楽譜を見ながら一人でピアノを弾いていたのを勝手に日本初演と言っているのかもしれない。
  3. 「レナード・バーンスタインのもとで指揮の研鑚を積む」→巨匠バーンスタインが無名無学歴の留学生をなぜ相手にしたというのか非常に不自然な話であり、作り話である可能性が極めて高い。
  4. 「1987年にドイツのシュトゥットガルトに転居、州立音楽大学大学院に入学(1992年卒業)」→1987年といえば渡欧の翌年である。しかしウィーン国立音大では聴講生(要するに単位認定されないモグリ学生)だったようだし、放送大学も卒業はしていないし、学部はどこの大学を出たというのだろうか。渡欧からたった1年でどうやって学士号を取ったというのか、これまた非常に不自然な話であり、作り話である可能性が極めて高い。
  5. 「1991年、メクレンブルク州立管弦楽団を指揮(Figaro,Fledermaus)。即興演奏家(ピアノ、オルガン、ヴァイオリン、チェロ、ライアー、打楽器など)。ルートヴィクスブルク映画大学大学院バーデン・ヴュテンベルクの映画音楽科入学」→正式名称はFilmakademie Baden-Wuerttembergという学校([1])だが、これはそもそも大学でも大学院でもなく、単なる映画学校に過ぎない。つまり「ルートヴィクスブルク映画大学大学院」と履歴書に記しているのは歴然たる学歴詐称と言うべきである。

ポイントは、バーンスタインも柴田南雄も既に故人になっているところであろう。つまり、当人から「菅野茂って誰? そんなやつ知らないよ」と言われる恐れは絶対にないから好き放題なことが言えるわけである。

他にも「作曲家との出会いと個人レッスンやゼミナール」と称してメシアンだのノーノだのブーレーズだのクセナキスだのケージだの、綺羅星のような大物の名前を勝手にちりばめて自分の経歴を飾ろうとしている様子が窺える。これは、かの伊東乾といい勝負ではないだろうか。

作風

拍節の強度に満ちたバーリンゲン国際作曲コンクール第一位の『七重奏曲 III 「タンツ・グロッケンシュピール」』や『室内協奏曲 VI』、『ピアノ協奏曲 II』など、シュトットガルトでの人智学クラブから学んだとみられる骨太の構築感に溢れる作風が多い。恐らく創作の出発点になったと見られる『ピアノのための「切片」第五曲』の書法には、過去の同じくシュトットガルトでの インドネシア人達とのガムラン音楽の活動やサロード奏者のインド音楽からその類似を指摘できる。

声楽作品のテキストはヨーロッパのほとんどの言語を網羅し、ラテン語は言うまでもなく古代ギリシャ語フラマン語カタロニア語などの「方言」などにも曲を付けている。長い合唱指揮の経験から、「小ミサ WVE-173」のように旋律も大変明解で歌い易く、場合によっては暗譜で歌うことも可能である。これは、どんなラインも歌いにくく特別の修練を要する前衛世代とは決定的に異っている。

現在アメリカのトッド・バッシュの台本による「あざらし」、アンデルセンの「みにくいあひるの子」、ジュリエ・ゲオルギスの「ジョージョー」を含む音楽劇オペラの創造に関心を移している。またアニメを含む映画音楽吹奏楽電子音楽即興演奏邦楽パフォーマンス音楽・ジャズ音楽・宗教音楽・などにも『作品』がある。指揮も単に管弦楽やオペラだけではなくて、少年少女合唱から大人の同声・混声合唱・現代音楽のアンサンブル・ポザウネン・コアウインド・オーケストラやライヴの映画音楽まで及ぶ。

ピアノ演奏・音楽批評などを含めて現代音楽の活動ジャンルは極めて広範囲に及び、その態度が良くも悪くも全体の作品様式に影響を及ぼし、芸術的な焦点があまり定まらない原因にもなり、全体像が把握しにくい要因になっている。これは、特定の楽派へ依存して同じタイプの作品を作りつづける現代音楽の不毛への、一つのアンチテーゼとみなすことができる。

技法

作曲技法はセリエル音楽系や音響作曲系から出発し、その後ロシア的なアルフレード・シュニットケとは全く違う「多様式主義の試みを通過して、別な意味での多義形式にかなり近い様相を示すようになったが、一方オーストリアでのラ・モンテ・ヤングジェイムス・テニーらとの出会い以降、単純アイディアによる様式も完全に投棄したわけではない。実際にデッテンハウゼンなどの小さな現代音楽祭などではエリック・サティヴェクサシオンやヤングの作品の演奏に何度も進んで自ら参加している。

『編曲』行為の最大の要因は現代の極度に発達した楽譜の複写コピー技術やノーテーション・プログラムの最大の利点をそのまま自作の改作に応用している事である。従って、編成が異なれば構成感もその都度変容・進歩するものという姿勢で臨んでおり、改訂版の意味も同時にあって「どの編成で書いても同じ音」が鳴る人ではない。またそれに投入される作曲技術はそのコンピューター・プログラムの能力の範囲内をもってその作品と作曲者の様式を兼ねる事が多くなっている。素材の数が稀少な場合は一種の簡明なタブラチュアの形で記譜されることも多く、奏者の自由度が上がる傾向(「試行II"ノックとグリッサンド"(WVE-194,2001)」)にある。

近年とみに顕著になったのが「カンタータ第三番 神への賛辞(WVE-228,2005)」のように、様々な技法を「陳列」する多義形式、つまり「羅列形式、陳列形式」への挑戦である。当作品では十二音技法やノイズ技法などがカタログのように並べられてゆく。こうした傾向は「邦楽II(WVE-222,2004)」や「呪文(WVE-219,2004)」にも奏法の「陳列」という形で表面化している。かつては様式内の和声(「セミ・コンチェルト・グロッソ(WVE-168c,2001)」)、ピッチ(「Quaoar(WVE-210,2003)」)をさまざまに陳列していた趣向が、より進化を深めたものと解釈できる。この系列における極端な一例が、「サブ・実験動物園(WVE-230,2006)」の最終セクションに豪勢な自作引用が全パートに同時展開する形で見られ、垂直的な合音関係にまで「陳列」が及んでいる。

恐らく日本人初の「バセットクラリネット協奏曲(WVE-235,2006)」では、独奏バセット・クラリネットの深めの音質に各楽器が蔦の様に纏わりつく。彼にしては珍しく反復音形が目立つが、飽きかけたころに衝撃音でセクションを分断するなど、抽象度が強化されてきていて、近年はソラブジブライアンなどの大編成で長大な演奏時間の英国の作曲家の研究にも現地在住の音楽学者のアルヤン・オミドと一緒に多忙である。

作品

作品の多くはショスタコーヴィチヴォルフガング・リームと同様に即興的に短時間で書かれるため多作に走る傾向にあるが、逆に作曲的に暴走してしまう可能性も極めて高い。ポリフォニー的思索が非常に強く音色素材を最優先とし、楽曲の和声操作を軽視する傾向があり、これが保守・革新の賛否が分かれる要因になっている。引用パロディーハプニング微分音などの要素もふんだんにある。必ずしも特定路線の専門家を自認しておらず、演奏や教育効果を考えた使用法に留まることが多い。

主要作品は一晩分のコンサートを想定してチクルスを志向する事が多く、巨大な管弦楽による約75分かかる第VI番までの「シミュレーション」約75分、第V番までの「プレイ・ステーション」(約85分)、第VI番までの「室内交響曲」集(全82分)、第VI番までの「室内協奏曲」集(約92分)、第VI番までの吹奏楽作品「実験動物園」(但しカタログには、第III番から出現、約80分)、そして種々の編成による第VI番までの「合奏協奏曲」(約74分)、第IX番までの「弦楽四重奏曲」(約100分)などがある。これらは個々の作品であると同時に、全体で一曲と見ることができるようになっている。折に触れて続編が書かれる「ワーク・イン・プログレス」である為に、最終的にどれだけの規模の大きさになるかは解っていない。

その他7曲のパフォーマンスとアメリカ人などの台本によるオペラ作品があり、近年は村田厚生などの日本人の演奏家にも好まれるようになり、更なる活動の拡大へ向かって歩きつづけている。

思想

かつての菅野作品は新しい複雑性とは別個に、演奏が非常に難解だと言われていた。クセナキスニーチェ超人思想を思わせ、ルツェルン国際音楽祭のように部分的な演奏のみか、ダルムシュタット国際夏期講習のように何回でも演奏が中止になった例が非常に多い。音楽的資質のエレメントを絶対最優先するためにそう言う結果になったとされる。最近の傾向は4分の4拍子で四分音符が一分間に60の速度を示し、リタルダンドアッチェレランド等の一切のテンポの変化がない物が多いが、これは単純に演奏時間を簡単に算出するため、また演奏を少しでも安易にするためにそう言う様式としての枠を設けることが多くなったが、この態度を取るようになってから素材の選択肢が急激に増加し、創作ペースも好調になった。

打楽器は完全に素材によって分類され、一般に太鼓類(皮:動物打楽器)・木質打楽器(植物打楽器)・金属打楽器(鉱物打楽器)と分けられていて他の作曲家のようにそれらを混ぜて演奏されるのを極度に嫌う。この方向性は確実に室内楽分野で大きな業績を上げている。まだ三管編成の管弦楽であっても同質楽器は可能な限り一段の五線紙に書かれ、パート譜もまた1番から3番まで同じ譜面を使う事が多く、例えばフルート属ならば最近はわざわざフルートの最高音域を使い意図してピッコロ等を使わない事がその音楽の特徴の一つとする事が多い。

また生の演奏媒体電子音楽などの混ざった作品表を嫌い、それぞれ別のカタログに表示される。所謂、経済性とわかり易さも音楽の内容と供に第一のモットーとしているが、同僚の譜面とは少しでも違っていたいと言うオリジナル性への野望は強固である。音楽の終り方も現代的に突然終止よりも寧ろクラシックに近い「終る」ような終止法も然りである。また題名のつけ方も同業者が興味を示すような分野を極力拒否し、絶対音楽的に「でっち上げ」とか「二重協奏曲」とか「良い加減」など表題性ののない題名を採るようになった。(多作の作曲家はおおむねこの傾向に属する。)

人間平等最優先による天皇制廃止論者であり、世界貢献のための自衛隊の出兵を認める憲法一条憲法九条の改正論者である。

出版

欧米の様々な12の出版社やレーヴェルから作品やCDが出版されており、なおかつ自身もModerato・Musicを立ち上げ現代作品の普及と啓蒙に努めている。アムステルダムのガウデアムス財団付属図書館で300を越える作品が閲覧できる。近年はまたDVDプロジェクトなどの余念がない。

外部リンク

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