中田考

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中田 考(なかた こう、1960年7月22日 - )は日本のイスラム法学者、実業家。元同志社大学高等研究教育機構客員教授。アフガニスタン平和開発研究センター客員上級研究員。株式会社カリフメディアミクス代表取締役社長。ムスリム名はハサン

北大生支援の元教授インタビュー。公安の事情聴取を受けた中田考氏が語る「イスラム国」[編集]

イスラム国」に戦闘員として渡航計画を企てていたとして、10月6日に北海道大学の男子学生が警視庁公安部から事情聴取を受け、東京都杉並区の宿泊先などの家宅捜索を受けた。小誌は、この学生の渡航支援を行ったとして、同じく事情聴取と家宅捜索を受けた中田考氏に9月24日の段階で接触していた。9月に現地を訪れたばかりの中田氏が語る「イスラム国」とは――。

なぜ「イスラム国」へ行ったのか?

中田考氏(以下、中田)9月上旬に「イスラム国」に招かれ、シリア国内の彼らが支配する地域へ行ってきた。「(編集部注:8月にシリアでイスラム国に拘束されたとみられる)湯川遥菜氏の裁判をしたい。公正に裁きたいと思うのだが、英語も通じず、話にならないので、通訳にきてくれ」という幹部の依頼を受けてのものだ。アラビア語と日本語の通訳ができ、かつイスラム学の知識がある人間として私に白羽の矢が立った。この時点でほとんど人は限られる。結局、折悪しく空爆が激しくなり、幹部たちが散り散りに身を隠してしまったため、湯川さんとは会えず、虚しく帰ってきた。

――渡航費は出してもらったのか。

中田 全額自分で支払った。大変だった。

――危険な目には遭わなかったのか。

中田 私は招かれて行っている立場なので、捕まることはない。

――印象に残ったことは。

中田 彼らは金銭的な余裕がなく武装面では非常に弱い組織、という印象を受けた。中東各国の富裕層などが彼らを資金面で支えている、という報道もあるが、基本的には彼らは自分たちのお金で組織を回しており、貧しい。「政府軍を追いやるぐらいなので、お金があり強いはずだ」という意見もあるが、政府軍が極端に弱いだけの話。弱い組織ともっと弱い組織の戦い。現地にいってそれを目の当たりにしてきた。そもそも停電が常態で電気もろくに通じていないような世界。

――であればアメリカが地上軍を投入すれば簡単に倒せるのか。

中田 それは無理だ。アメリカ軍は強いイメージがあるが、本当に弱い。その理由の1つとして法の縛りが挙げられる。彼らは随分ひどいことをしているが、それでもシリアのアサドやイラクのフセインの軍隊に比べれば、一応軍規がある。軍規があるとやはり弱い。

――実際の戦闘を目にしたか。

中田 「今からシリア政府が管轄する軍用空港を攻撃しに行くから来い」と言われてついて行った。上から明確な命令があったわけではなく、「ちょっと行くか」という感じだった。指揮命令系統はしっかりしていない。彼らは死ぬことをまったく恐れていない。喜んで死ぬ。一方の政府軍は死を嫌がって逃げる。だから弱い。

――「イスラム国」へはどんな人が集まっているのか。

中田 世界各地から「イスラム国」へ集まっている人の多くは中東出身者のイスラム教徒。稀に白人を見掛けたが。

――彼らが「イスラム国」の活動に参加する理由は。

中田 実際に話したわけではないが、普通にイスラム圏でイスラムの世界なので、「イスラム国」にいたほうが気持ちよいのだと思う。そこへ集まる人たちはムスリムなので。

――給料は出ているのか。

中田 月50ドル出ている。もちろんムジャヒディン(ジハードを行う人)になると、たとえばガソリンをいくらもらえるとかあるらしいが。現地で50ドル札を見せてもらったが「大変なんだよ、これを一枚もらうのが」と話していた。

――現地に日本人はいたか。

中田 いなかった。これから増えると思うが。

――なぜ。

中田 増えるに違いない。日本にいて何かいいことがあるだろうか。毎年3万人も死んでいくような国。自殺するよりまし。「イスラム国」へ行けば、本当に貧しいが食べてはいける。

――「イスラム国」指導者のバグダディ氏がカリフ(預言者ムハンマドの後継者の意で、イスラム国家最高権威者の称)を名乗った。

中田 彼らは建国宣言で、「イスラム国は『イスラムのカリフ制』であり、アブー・バクル・バグダディ氏は全ムスリムのカリフである」と宣言した。ただ、カリフについては「恐るおそる言ってみた」という感じであった。やはりあれは「イスラム国」であり、カリフではないと言ってもいい。

――彼ら自身もカリフであるということを強く主張はしていないということか。

中田 大して強く主張していない。一応カリフと言ってみたというところ。イスラム法上の正当性があったとしても、認められるかどうかは別なので。彼らは「多分これは認められないだろうな」と思っている。ただし、私は一応カリフの依頼を受けたということで、今回の渡航費も全額自分で支払った。空爆の関係で現地到着後、3日間放置されて、やっと伝令が来るという状況だった。携帯電話を使うとGPSで把握されて爆撃されるので、伝令が来るのだが、「今から(湯川氏のところへ)連れていくけど、1週間いてくれ」と言われた。事前に帰国する日が決まっており、「カリフ制を名乗っているなら約束を守れ!」と言って断って帰ってきた。本当にカリフだったらカリフにそんなことは言えない。「1週間いろ」と言われたら、1週間いないといけない。

――カリフはどう決めたのか。

中田 彼ら自身が決めた。ボードメンバーが「よし、そろそろカリフ制にしよう」と言ってカリフ制にした。それはそれで合法性はあるが、合法性があることと、他の人間が認めることは別の話。じゃあそれだけしかないのかといったらそうとも言い切れない。他にいない、というのは非常に強く、基本的にはバクダディ氏がカリフであろうという話。

――彼らは何がしたいのか。

中田 非常に大雑把にいうと、「コーランの教えをしっかり守る国をつくる」ということ。礼拝を行い、酒は飲まず、泥棒など法に背く行いをした人間には罰を与えると。そのため、コーランの教えに公然と反対し背教したイスラム教徒には非常に厳しい対応をし、見せしめのために公開処刑も行う。ちなみに公開処刑を行っているのは「イスラム国」だけではない。シリアは首切りでなく、首吊りを公開で行っている。基本的には見せることによって、刑罰に対する恐怖心を掻き立てて犯罪を防止するということ。これに効果があるかというのは学説で分かれるところだが。先日現地へ行ったときも、アサド側のスパイが見付かったらしく、司令官が銃殺をしたが、市民から「なぜちゃんと首を切らないのだ」という抗議を受けて、結局司令官が謝罪させられたという一幕があった。

――スパイは多いのか。

中田 イラクもシリアもスパイ国家のため、「イスラム国」には多くのスパイが入り込んでいる。殺害されたジャーナリストの一部はどうも本当にスパイだったようだ。イスラム法では成人男子の戦闘員の捕虜の処刑は合法なので、ある意味では殺されて当然ともいえる。ただ、私は個人的にはジャーナリストを殺害するのは反対だ。彼らには国に戻って「イスラム国」の実態を伝えさせるべきだと考えるからだ。

――支配地域で暮らす一般の民衆は、彼らを支持しているのか。

中田 一般の民衆は何を考えているかというと、日本と同じように、政治やイデオロギーに興味をもっている人は非常に少ない。99%の人は何の興味もない。たとえばアサドが戻ってくるなら「アサド万歳」と言うはず。

――なぜこのタイミングでこうしたことが起こったのか。

中田 非常に簡単に言ってしまえば、世界がおかしいから。イスラムの世界もおかしいし、世界全体がおかしい。イラクとシリアはイスラムの世界においても、世界レベルでみても、ほぼ最悪の残虐な政権。イラクは単に野蛮で、シリアはもっと計算された冷酷な野蛮さ。人を殺すことも、嘘をつくことも平気な人たち。そういうところを倒すには、それに対抗できるような、ある意味での強さみたいなものがなければならない。

――今後の展開は。

中田 ともかくアメリカが空爆を始めてしまったので、さっき言った99%のあまり意識のない民衆がかわいそう。意識のある人間は死んでも平気なのでよいが、一般の民衆がかわいそう。アメリカが彼らを根絶やしにすることは非常に困難であるし、「イスラム国」の活動には、今後日本人を含めて多くの人が参加するものと考えている。彼らの勢いはまだまだ衰えることはないだろう。

経歴[編集]

業績[編集]

イスラム法学者としてのキャリアをイブン・タイミーヤに関する研究からスタートした。タイミーヤの政治思想、哲学思想、法学に関する論文を書いた後、イスラム法学におけるカリフ論、バイア論、寛容論(イスラームにおける寛容思想)などに関する論文を書き、自身の基盤となるハンバル学派の解釈を軸にした古典イスラム法学の研究、イスラム法学に基づく統治を目指すイスラーム主義の研究、そして現実のムスリム国家の政体に関する研究を重点的に行うようになる。

ハンバル学派におけるコーラン解釈を『イスラーム法の存立構造』(ナカニシヤ出版、2003年)で初めて本格的な形で日本に提示した。

正統10伝承の異伝を全て訳す、という、世界初唯一の翻訳本『日亜対訳 クルアーン――「付」訳解と正統十読誦注解』(作品社、 2014)を出版。伝統ある古典と最新の学知に基づく注釈書を参照し、教義として正統であるだけでなく、アラビア語文法の厳密な分析に基づく翻訳がなされている。

コーラン預言者ムハンマドの言行(スンナ)を重視するイスラム理解が研究の姿勢に色濃く反映されている。

受賞[編集]

日本オリエント学会第15回(平成05年度)奨励賞「ジハード(聖戦)論再考」

主張[編集]

要約[編集]

伝統的なイスラム法に基づいた思想を持っている

  • イスラム世界の統合。(西欧列強が旧オスマン帝国領に引いた国境線の排除)
  • カリフ制度の復活。(ムスリムの精神的支柱としてカリフ存続の声は強かったが、1924年にカリフ制度は廃止)
  • イスラム法による統治。(イスラム世界においてもローマ法起源の憲法を採用している国が多い)
  • 金本位制の復活。(資本主義の否定ではない)
  • 民族主義の否定。(イスラム法では民族による差別を否定している)
  • 人種差別の否定。(イスラム法では人種による差別を否定している)

主張の詳細[編集]

多神教無神論無宗教偶像崇拝に過ぎないと批判しているが、一方でイスラームの他宗教への寛容さを主張している。また従来の「イスラム原理主義」研究について、「原理主義」という語を蔑称として用いる「世俗主義者」の視点によるものであると批判しており、その原因は「自らは実践しない高邁な理想を口にすることを恥じない西欧文明の病理」にあると主張している。

山折哲雄のように日本の多神教の寛容性を強調したり、多神教と一神教は相容れないものだとする主張に対して、「多神教優越主義者」はローマ帝国江戸時代の日本におけるキリシタン弾圧など、多神教からの暴力と不寛容を無視していると批判している。また多神教の中に一神教を読み込む形での両者の区別について、疑問を呈している。

イスラーム世界の人々に対しては、イスラームの教えに基づき近代国民国家不換紙幣による支配を打破し、カリフ制を再興する義務があると主張している。また人類全体に対しても、国境を廃して国民国家の支配から解放されるべきであると訴えている。具体的には、「ムスリムが権力の中心を担いながらイスラームの統治に共鳴する異教徒の庇護民と共存するイスラーム法の法治空間である『イスラームの家』と『戦争の家』が相互不干渉の協定を結び、人間の移動を自由化し、イスラーム法の統治を望む者は『イスラームの家』に移住し、『自由=無法』を望む者は『戦争の家』に無条件に移住することができるシステムを構築することが最善と思われる。そのためには自由、平等を唱導する国家群は国境を完全に開放し、なによりも人間の移動の即時完全自由化を果たす必要がある」と述べている。

2009年に行われた第51回オリエント学会大会の公開講演では、「新しく選ばれるカリフは、背教者を除く全ての異教徒を庇護民として受け入れるハナフィー派、マーリキー派の定説、それにハンバリー派の少数説が採用されることを希望しまた予測してもいます」と述べている。そして庇護民ズィンミーについては、「カリフ政体を支えるいかなる義務も負わない」のであり、税金として課されるジズヤも低額であることから、単なる二級市民ではなく「消極的に服従するだけで安全保障を享受することができる『受動市民』」とみなすのが実態に即しているとし、自著『イスラームのロジック』ではズィンミー制度について「十数世紀にわたって異なる民族、宗教、文化の共存するシステムを構築してきた」と評価している。

キリスト教徒による十字軍エルサレム等で大量虐殺を行ったのに対して、最後の普遍宗教であるイスラームではそのような事態を防ぐため律法が整備されているとし、イスラームの優越性を主張している。また第一次世界大戦第二次世界大戦の参戦国は多くが政教分離を行った国であることから、政教分離原則は「戦争の阻止に何らの役割も果たさなかった」と主張している。そして政教分離原則が「信教の自由の弾圧を防ぐ」という主張に対しては、共産主義国家が宗教を弾圧した例を挙げて反論としている。

なおウィキペディアについては「Wikipediaが当てにならないことを知るには『中田考』の項目を見るのが一番です」と発言している。

イスラームの信仰について[編集]

  • ムハンマド風刺漫画掲載問題に関して、預言者ムハンマドの肖像を描くことはイスラームの教えにより禁じられた偶像崇拝にあたるという日本国内の報道に対し、イスラーム世界ではそのような解釈はなされていないと反論している。イスラーム世界において絵画描写が抑制される傾向にあったのは事実だが、絵画や彫像がまったく存在しないということはなく、ムハンマドの肖像が描かれた事例もあると指摘している。
  • イラク日本人青年殺害事件に関して、イスラーム法において人質を処刑する義務はないが、殺害すること自体は禁止されていないとの見解を示した。そして被害者がイスラエル経由で入国していたことから、組織についての情報が敵であるイスラエルに漏れることを恐れ、殺害に及んだのではないかと推測している。
  • 2004年京都市で開催された国際ワークショップにおいて、イスラエル出身のパレスチナ人ムスリム学生ムハンマド・アブー・サムラは、完璧な存在は神のみであって完璧な宗教など存在せず、聖典であるクルアーンもまた例外ではないとした上で、イスラーム世界における自由な思想への迫害や差別・不平等の責任を外部に転嫁すべきではなく、ムスリムとしてイスラームの抑圧的な側面も直視しなければならないと主張した。これに対し中田は、クルアーンが完全ではないという主張はイスラーム学のコンセンサスに反するものでありイスラームへの冒涜に他ならず、同志社大学一神教学際研究センター(CISMOR)の学問的信用性を傷つけるものであると主張し、編集会議において議事録からの削除を訴えた。しかし中田の主張は他のメンバーに受け入れられず、アブー・サムラの発言は議事録から削除されなかった。
  • アッラーフからの啓示を受けた預言者を自称し聖久律法会を創始した宮内春樹(現在カリフメディアミクス代表取締役CEO)との会談において、最後の預言者ナビィであるムハンマドの存在と日本における「預言者」宮内の存在は矛盾せず、宮内についてイスラームの教えを日本で広める役割を担っている認識しているが、内部における異端に対しイスラームは非常に厳しいため注意が必要であると述べている。

ターリバーンについて[編集]

  • ターリバーンのウェブサイトをアラビア語から日本語に訳す作業を行っており、その結果をtwitterやウェブサイトに載せている。自身はあくまで中立的な立場であり、ターリバーンの欧米理解は欧米のターリバーン理解と同様一面的であり、話の通じない独善的な面ばかりではないが一方で自己中心的な面もあるとした上で、バランスをとるためにターリバーンの主張を紹介するとしている。
  • ターリバーンによるバーミヤン遺跡石仏破壊に関しては、石仏が個人の所有物ではない国有財産である以上、行政権者がそれを破壊してもイスラーム法上何ら問題ない行為であるとの見解を示した。そして他宗教に対する非寛容のあらわれとする報道に対して、イスラームでは異教徒の生命・財産・信仰・名誉といった権利を否定しておらず、イスラーム法の文脈を理解していないと批判している。
  • ターリバーンの女性教育に関して、ターリパーンのウェブサイトにおける主張を日本語訳した上で、女性教育そのものをタリバーンは禁止しておらず、イスラームの教えに基づいた男女別学の女性教育が出来るようになるまでの間、暫定的措置として女性教育を停止しただけとしている。よってターリバーンが女性教育を禁止したというのは事実の歪曲であると主張している。

ISILとの関係[編集]

ISILについての考え[編集]

ISILについては、ヘーゲル米国防長官が「かつてない脅威」と評した事を受け、「それはそうだろう。人類と大地を偶像神リヴァイアサン領域国民国家から解放するカリフ制再興の先触れなのだから」としている。

ISILのヤズィーディー教徒虐殺や奴隷化については、「愚かな。これでイラクのクルドもキリスト教徒もヤズィーディー教徒も外国の異教徒に助けを求めてカリフ国に敵対する道を選んだことで本当に虐殺の対象になる。」、「ヤズィーディー教徒が虐殺を逃れて、とか報道されているが、ISカリフ国が彼らの殺害を命じていたなら、この丸腰の彼らなど全員瞬殺されていたはず。そもそも女子供は殺害禁止だし(奴隷にはできるけれど)。」、「ヤズィーディー教、全く興味ないし理解もできないが、本気で信じているなら、はた迷惑だが殉教でもなんでもすればよい。それが宗教の自由。」、「ああ、どうして私はこんなヤズィーディーなどというどうでもいいものを相手に時間を浪費させられているんだろう。 (/。\)」、などとISIL側に立った無慈悲な言葉を言い放っている。

ISILへの接触[編集]

2013年3月からISILの支配地域に何度も足を運び、ISILの司令官らと接触しており、司令官と直接情報交換できることを明らかにしている。2014年9月には、常岡浩介と一緒にISIL支配地域に入っている。

日本人の紹介[編集]

ISILに戦闘員として参加を希望する当時26歳の日本人学生に対して、ISIL司令官に連絡をとり参加の仲介をした。2014年8月中田はその学生に面会し、中田の立会いで学生はイスラム教に入信した。中田は学生のシリアへの渡航のためにルートと通訳を手配し、シリア入国後は中田が紹介したISIL幹部が出迎え戦闘員になる予定であった。参加計画は渡航直前に警視庁公安部によって私戦予備・陰謀事件として阻止され、学生は身柄を拘束され、中田と常岡浩介らは事情聴取と家宅捜索を受けた。また別に千葉県内の20歳男性も中田に連絡を取り、2014年8月にシリア渡航する予定であったが、家族が説得したために未遂に終った。

日本人拘束事件[編集]

ISILによる日本人拘束事件に関連して2015年1月22日に記者会見を行い、ISILの高官と人質の解放について話し合う用意があると述べた。

趣味[編集]

漫画ライトノベルを読む。好きな作品はニンジャスレイヤー。好きな作家は西尾維新

灘高では将棋同好会の会長であり、現在でも将棋に熱中している。2015年3月時点の将棋ウォーズの段位は3段である。

著書[編集]

  • 『ビンラディンの論理』小学館文庫 2001年
  • 『イスラームのロジック―アッラーフから原理主義まで』講談社選書メチエ 2001年
  • 『イスラーム法の存立構造―ハンバリー派フィクフ神事編』ナカニシヤ出版 2003年
  • 『正典としてのクルアーン ヘブライ語聖書・新約との比較分析』ムスリム新聞社 2007年
  • 『イスラーム 生と死と聖戦』 集英社新書 2015年 

共編著[編集]

  • 小原克博手島勲矢『原理主義から世界の動きが見える キリスト教・イスラーム・ユダヤ教の真実と虚像』PHP新書 2006年
  • 『カリフ制こそ解答』編 ムスリム新聞社 2007
  • 『イスラームの豊かさを考える』奥田敦共編著 丸善プラネット 2011
  • 『一神教と国家 イスラーム、キリスト教、ユダヤ教』集英社新書 内田樹 2014

翻訳[編集]

  • ムハンマド・アル=サーリフ・アル=ウサイミーン『イスラームの信仰 スンナ派信条』ハサン中田考訳 ムスリム新聞社 1995
  • コリーン ゼクストン(Colleen Sexton)『イエメン』国土社 1996年
  • ムスタファー・アッスィバーイー『預言者伝』日本ムスリム協会 2001.5(第2刷)
  • 『やさしい神さまのお話』 ハビーバ中田香織共編著 ムスリム新聞社 2008年
  • 『訳解クルアーン』監訳 中田香織,下村佳州紀訳 黎明イスラーム学術・文化振興会, 2011
  • 『日亜対訳クルアーン』作品社 2014

関連項目[編集]

外部リンク[編集]