伏見宮博明王

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伏見宮博明王ふしみのみや ひろあきおう昭和7年1932年1月26日~ )は、日本皇族伏見宮第26代。伏見宮博恭王の第1王子博義王の第1王子。母は、博義王妃一条朝子(ときこ)。日本文化振興会総裁

昭和13年1938年10月19日父宮の博義王が薨去し、さらに戦後間もない昭和21年1946年8月16日に博恭王が薨去したことに伴い、14歳で伏見宮家を継承する。

昭和22年1947年10月14日皇籍離脱伏見博明と名乗る。

米国留学後、帰国しモービル石油に勤務。和子夫人との間に朗子、宣子、雅子の三女をもうける。

先代:
博恭王
伏見宮
26代  
次代:
(皇籍離脱)


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